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METAL SOUL IS GREAT ! | |
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[2002] 2002年12月30日に新潟市のジャンクボックスミニで行なわれた「ヘヴィメタルソルジャーズ」と言うイベントから全ては始まった。 主催はスティールドライバーの佐藤現(後の新潟鋼鉄総帥)。彼の呼びかけにより不可能と言われた「新潟のメタルバンドのみによるイベント」が生まれ、お互いを知らない5バンドで第一回目をスタート。 [2003] 翌2003年は同会場で3月、6月、9月、12月の4回行ない12月の29、30日に開催された時は新潟市の「芸術文化振興財団助成事業」に任命され新潟がメタル文化都市である事を県下に示す結果となった。 と同時により発展性を願い新潟鋼鉄の会を結成し組織による運営に移行する。 [2004] 2004年は同会場で3月、5月、6月、9月、12月(2Day)の5回開催し5月にはMAX150名の消防法ギリギリまでの多くの観客が駆け付け、ライブハウス側に「メタソル恐るべし」との印象を植え付けた。 と同時にキャパシティの限界を感じた為、翌2005年からMAX300名のクラブジャンクボックスに移動する事となる。 [2005] 2005年はクラブジャンクボックスで3月、5月、7月、9月、12月の5回開催し12月のライブにはメタソル初県外バンドとしてロシアはハバロフスクから「白い悪魔」LINERが参戦!メタソルが世界共通の言葉になる事を確信した。 [2006] 2006年は新たに上越市でもメタソルを開催。名前をメタソルグレートに変え、さらなる進化の道を歩く。 3月、6月、8月、12月が新潟のクラブジャンクボックス。4月、10月が上越のライブハウスアースでの開催。 6月から物販席を「メタ市メタ座」と名付けフリマとして解放。うまい酒と肴「網元」などが出店して大好評。 3月にはメタソルに出演した経験を持つ8バンドが集まりオムニバスアルバム「新潟鋼鉄その壱影虎」がモアイレコードより発売される! そして6月には再び「新潟市芸術文化振興財団助成事業」に任命されると共に「白い悪魔」LINERが再来襲しこの年1月の新潟大停電と同等の恐怖を与える。 10月の上越では記念すべきメタソル通算20回目が行なわれ、上越鋼鉄が記念Tシャツを作り、ライブパフォーマンスの中で着て観客と共に祝ってくれた。(上の写真はその時の様子) [2007] 2007年は2月24日、6月23日、9月29日、12月30日の4回開催。 2月は山形は酒田、6月は長野は松本から2バンドと県外からの参戦も恒例化してきた。 6月からエントランスにてSOUL MATEというアコースティクライブをバンド転換時を利用して始め好評を得る。 12月30日は25回と5周年を記念し新潟鋼鉄コースターを来場のみなさんにお配りした。(下の写真) [2008] 2月23日、6月28日、9月20日、12月30日の4回開催。 イベント名をMETASOL/メタソル+回数に統一した。 2月は6周年記念としてメタルセッション、モアイ塾とソロアピールタイム、NO RULE NO FEAR合わせて開催。 県外からは6月には東京から東京サバスと長野からGLOWWEEDの2バンド参戦!9月は東京からレコ発ライブでバーニングエモーション参戦! [2009]3月1日新潟Lots公演で記念の30回。動員も過去最高の220名を記録。 この年3月1日、6月13日、9月12日、12月30日の4回開催。 [2010] 2010年3月21日、その役目を終える…。 | |
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メタソルの戦歴 |
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